球体通信

Around Forty gay on the Kyushu Island

誰かとつながりたくなった~映画『天気の子』を観て~。

7月7日から8日に日付が変わる頃。携帯の緊急速報のアラームが何度も鳴り響いていた。妙に興奮してすぐには眠りにつけない状態。外は大雨だった。大きな雨音と大きな雷の音。そして、時折光る稲光。

スコールのような雨がひたすら降り続き、今回は実際に大分の川も氾濫し被害が出た。幸い僕自身には何事もなかったが、大きな力に圧倒された夜だった。

 

夜中振り続いた雨は翌朝には綺麗にあがっていた。晴れたことで大量の水蒸気が山々から湧き上って空へと続いていた。それを見て「そうだ、天気の子を見よう」と思った。

予告映像の雲の表現が綺麗でずっと気にはなっていた映画だったけれどなんとなくタイミングを逃して観損ねていた。

 

その夜、映画を見た。

今の九州の状況が状況だけに天気のことについてはいろいろと考えさせられた。

何か災害が起こるたびメディアで見られる「異常気象」や「観測史上初」やなどの言葉がいかに現代人の狭い視野の中での表現であるかと言うのはすごく納得してしまった。

『天気は天の気分』。今回の九州全域での豪雨もそうだけれど、予測なんてできないということを僕たちはちゃんと知っておかなければいけないと思う。大きな天の力の中では人間はその程度のものだと分をわきまえることも必要なのかもしれないと思った。

 

また、新海誠作品の青春ファンタジーのノリが受け付けない部分がなかったわけではないが、単純にまっすぐな想い、愛って素敵やんって感動してしまった。恥ずかしいけど。

社会学者の宮台真司氏がよく口にする「法というルールを越えてもつながりたいと思うこと、それが本物の愛だ」と言うことの意味が初めて分かったような気がした。

すべてを敵に回しても何もかもかなぐり捨てても愛に生きること、そのことによる大きなパワーが表現されていたような気がした。そして、そのパワーは僕たちが思っている以上に強くて凄くて世界を変えうる力を持っているんだとそういうことを伝えたかった映画なのかなと思った。誰かとつながりあうことの輝き。それは目先の損得を超えたレベルの何か。そういうものにいつか触れられたらそれは倖せと言うことなのだろうと思った。

 

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