球体通信

Around Forty gay on the Kyushu Island

教師の息子に生まれて。

たまに芸能人の子供が明らかに道を踏み外し堕ちていくニュースを目にする。

 

あの人達の不幸が僕には全くの他人事とは思えない。

 

それは僕が「○○先生の息子さん」と幼い頃から呼ばれてきたから。

 

僕の中のどこかには必ず父親の存在があって常に意識してきたような気がする。

 

親が学校の先生だということは僕にとってすごく誇らしいことだった。

 

教師の息子である僕に周りの子たちは一目置いてくれていた気がする。

 

今から思えば、僕自身はそれなりにいい子だったと思うけれど、

 

周囲から良くも悪くも正当に評価されていたかは疑問だ。

 

ある種必要以上に下駄をはかせて周りの子たちは僕を見ていたし、

 

僕自身も変に高いプライドを幼い頃から持ってしまっていた気がする。

 

そんな感じでも小学校、中学校ぐらいまではよかった。特別、問題はなかった。

 

でも、高校に上がる頃から僕はわかりやすく落ちこぼれていった。

 

勉強も友達も何もかも、学校生活全般に完全に支障をきたしていた。

 

でも、僕は学校に通い続けた。

 

誰に何を言われたわけではない。教師の息子が不登校なんて絶対に嫌だったから。

 

僕は勝手に親は許さないと思っていたし、僕自身も僕を許せなくなると思ったから。

 

今となってはいろんな選択肢があることを知っているけど、

 

当時は学校からドロップアウトするなんて全く思いつきもしなかった。

 

結果的にだが、この時のつまづきが僕のその後の人生にいまだに影を落としている。

 

職を転々としたり、時には精神的に、時には金銭的に親を頼ったりした。

 

父親は僕を出来損ないの息子だと思っているだろうし、失望しているだろう。

 

僕は父親に申し訳ないと思っている。ゲイであることだけじゃなく、ほかの面でも。

 

どんないい先生の息子でも僕のような人間が生まれてしまうことはある。

 

それは美男美女俳優の子供がブスに生まれてしまうのと同じことだ。

 

実際、父親は息子の僕が言うのもなんだけれど、すごくいい先生だった。

 

不幸な事故で父を亡くした母子家庭の子にはすごく親身に手を尽くしたし、

 

ヤクザまがいの変な親にも教え子を守るためには体を張って話し合った。

 

何より家での父親は、常にたくさんの書類に囲まれ学校のことだけで大変なはずなのに

 

家族にも時間を作りたくさんの愛情を注いでくれた。あんなことは僕には絶対できない。

 

本当に尊敬しているけれど、その分、僕は苦しくなったとも思う。

 

立派な教師の立派な息子になれないことが。そう、それが何より苦しかった。