球体通信

Around Forty gay on the Kyushu Island

梅毒になった僕~消えない刻印~。

3年前の春、僕は梅毒になった。

 

それは九州各地の発展場巡りを終えてしばらく経った頃だった。

 

ある日、陰茎のカリ首の下あたりに小さなしこりがあることに気づいた。

 

もともと吹き出物が出やすい体質だし時間が経てば治るだろうと1週間様子を見た。

 

1週間後、まだ治ってない。でもでも、もう少し、様子を見ようともう1週間待ってみた。

 

が、最初見たときより明らかにしこりは大きくなり硬さが増していた。

 

それを見て初めて泌尿器科に行こうと決意した。

 

ドキドキしながら行った泌尿器科では検尿をしてから診察をしてもらった。

 

パンツを脱ぐのをためらっている僕に先生は全部降ろさないと見えないだろと少しきつめに言った。

 

しょうがなく僕は先生に皮をむいて患部を見せた。正直、恥ずかしかった。

 

先生に最近の性的接触を聞かれた。

 

最初はわからないふりをしたかな。その後、風俗?と聞かれてうなづいた気がする。

 

それから採血をされた。血液を性病の検査に回しますと先生は言った。

 

結果は1週間後には出ていたが、仕事を理由に少し遅らせて2週間後に聞きに行った。

 

検査結果はエイズは陰性だったものの、梅毒は陽性だった。割とショックだった。

 

正直、あの頃の僕はエイズにでもなんでもかかって死んでもいいと思っていた。

 

だから不用意な性行動ができた。でも、やっぱり後悔した。

 

そもそも、僕が性器の小さなしこりだけでなんとなく梅毒かも?と気づけたのは、

 

それまでいろんな性病の初期症状のサイトを見ていたからだった。

 

自分のことなんてどうでもいいと片方では思いながらも本当は全然どうでもよくなんかなかった。

 

普通に生き続けることを求めていた。

 

さんざん自暴自棄の振りなんかしてみてたけどなんてことはない。

 

生にも性にも見苦しく執着していた僕がいた。

 

幸い、初期症状で気づけたので僕の梅毒はひどいことになることはなかった。

 

2、3か月ぐらい毎食後、抗生物質を飲み続けて治療した。

 

梅毒にはわかりやすい完治というものはなく、

 

ある一定まで検査の数値が下がったら治ったということになるそうだ。

 

結果的にその後、経過を見ながら治療と検査を繰り返し、

 

半年近くかかっただろうか。数値が下がったので、一応、治ったということになった。

 

最後の診察の日、先生にもう変な所に行かないようにと釘を刺された。

 

梅毒は一度治っても何度でも感染するという。

 

そして、一度できた梅毒の抗体は一生体内に残り続け、検査をすれば陽性になるという。

 

僕の中の一生消えない刻印として梅毒になったという事実は残り続ける。

 

抗生物質のない時代ならば皮膚がボロボロと崩れていきやがて死んでいた病気、梅毒。

 

今は薬で治るからと軽く見ずにこうなった事実を重く受け止めてきたつもりだ。

 

目をそらしたかったけど、これが僕に起こったことだから。

 

ずっと僕自身の不用意な行動で苦しむのは自分だけだと思っていた。

 

でも、そうじゃなかった。初期症状で気づけたとはいえ、

 

自覚する前に本当に誰にも移していないか?と問われると絶対ないとは言い切れない。

 

その後悔だけは強くある。自分だけが傷つく自暴自棄なんてないんだと思った。

 

あの時、僕はどうしても誰かの肌に触れたかったし、

 

肌の触れ合いで何かが満たされるような気がしていたけど、そんなことはなかった。

 

梅毒になった僕と僕は付き合っていくしかない。その弱さも脆さも自覚しながら。

 

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