久しぶりに小説らしい小説を読んだ感覚。
村田沙耶香さんの「しろいろの街の、その骨の体温の」を読んだ。
10年前の作品ながらなんか今の小説臭いタイトルにちょっと迷ったけど、
話題になったコンビニ人間が個人的にはかなり良かった記憶があって選んでみた一冊。
あの時もなんでこんな立体的に入り組んだ人の気持ちが書けるのと驚いたけれど、今回もかなりズシンときたな。
ホントにすごいなぁ、すごいなぁってつぶやきながら読んでたもん。
簡単に言うとあるひとりの少女の成長/性徴の物語。
最初に"ダイエー"って出てきたところで心をガシッと掴まれたね。
その単語のチョイスだけで時代感がすごく広がってさ。
主人公のゆかちゃんの体験していくことの描写は人によってはかなり厳しく感じるかもしれない。
それは精神的な意味で。
リアルタイムに学生の頃に読みたかったかもと思ったけど、それはそれでハードかなと。
それにしてもまぁなんでこんな生々しく繊細なヒダの部分を描き出せるんだろうって感動しっぱなしだったな。
一方で、物語の中からあの頃のクラスの自分がフラッシュバックするような感覚もあった。
僕の場合はいじめられたとか何があっていわゆるぼっちになったわけではないけれど、
それこそ主人公のゆかちゃん同様わかりやすく外側からいわゆるスクールカースト上位の男女を乾いた瞳で眺めていたのとか思い出した。
クラスの端っこからの景色とかさ。なんか追体験してるみたいで正直きつかったかも。だから時間かけながら読んだなぁ。
所々いかにも小説って言うような臭い表現はないわけじゃない。
そういうの出てくるとすごい冷めるんだけども、この人の小説は圧倒的にそういう違和感が少なく読めるんだなぁ。
これは本当に繊細な感覚というかセンスの違いなんだろうと最後まで感心した。
あとクラスという子供社会がその後の大人社会に完全に繋がってるんだというのも大きい気付きかな。
クラスの中での立ち振る舞いがその後のその子の人生を方向付けるんだろうなっていう。
良くも悪くも自分という個を殺すという処世を体得してしまうのも問題だなとか思ったり。
それが今の閉塞感にも繋がってんのかなぁとも思ったり。
この小説を読んで久しぶりにブログを書く力も出た。
文字を身体に入れたら文字が出てくるんだなぁ。
たまには文章を身体に入れようと思った。