球体通信

Around Forty gay on the Kyushu Island

タイ君の思い出。

TBSラジオ「東京ポッド許可局」の人気コーナー『忘れ得ぬ人々』。

 

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今はポッドキャストでも聴けるようになったこのコーナーが好き。

 

 ≪ふとしたとき、どうしてるかな?と気になっている人。

 

でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、忘れ得ぬ人を送ってもらうコーナー。≫

 

仲良しだったとか付き合っていたとかじゃなくても記憶に強く残っている人っている。

 

いつもこのコーナーが流れる度に自分だったら誰になるだろうと考えていた。

 

ふと思い出されたのが小学生の時の中国からの転校生。

 

今でもフルネームを覚えているけれど、タイ君でいいか。

 

あれは小学校の4年生ぐらい。

 

同年代の子にしてはの成長が早く体の大きかったタイ君。

 

田舎の学校に外国人なんているわけもなくタイ君は特別学級的なクラスに入れられていて僕らとは直に接することはなかった。

 

一応カタコトの日本語は話せるようだったけれど、通訳兼身の回りの世話をする先生が1人付いていた気がする。

 

教室移動の間、たまに僕らが目にするタイ君はいつも暴れていた。

 

カタコトで「中国に帰りたい」と言っていたような、とにかく何かに反発していた。

 

中国の言葉で何かをわめきながら先生数人に制止されていた姿を覚えている。

 

本気でタイ君は暴れていたのでよく服がはだけたりもしていた。

 

僕らはその様子を好奇の目で見ていた。

 

ある時は大きな声で叫びながら着ていた服を全部脱いでしまったこともあった。

 

全裸になったタイ君を見てみんな笑っていた。

 

僕はみんなと笑いながらも中学生に近いタイ君の肉体に妙にドキドキしていた。

 

今から思えば適応障害的なことだったのかなと思う。

 

急に異国の地に家族の都合で連れて来られて心のバランスを崩したのだろう。

 

何か騒ぎを起こしてタイ君を引き取りに来たお父さんを一度見たが、子供ながらにちゃんとした人だなぁと思った記憶がある。

 

おそらくではあるが、タイ君のお父さんは大分にあるかつての新日鉄、今の日本製鉄製鉄所に中国・武漢から技術を学びにやってきた関係のエリート技術者だったのだろう。

 

長期出張で家族も連れてきたが、タイ君はその大きな環境の変化に馴染めなかったと。

 

結局タイ君は半年か一年もしないうちに家族と中国に帰って行った。

 

タイ君にとってはつらい思い出になっているだろうか。

 

とにかく中国に帰りたい一心だったのか。

 

疎外されているような状況が嫌で反発していたのか。

 

武漢も20年前30年前とは比べ物にならないぐらい発展し最近は新型コロナも襲ったわけだけど。

 

とにかく元気にやっているといいなと思う。

 

東京ポッド許可局