幼い頃、母親がダスキンで働いていた。30年前だから景気もいい時代。
僕はそれにくっついて母の赤い軽自動車でいろんなお宅を周るのが楽しみだった。
モップやスポンジの交換などで大きな団地を周り毎日のように働いていたと思う。
自慢じゃないが、幼い頃の僕はぷくぷくほっぺでとてもかわいくどこに行っても人気者だった。
いろんなママさんにかわいいかわいい言われたりお菓子をもらったりがうれしかった。
まだ幼稚園に上がる前のこと。今じゃ見る影もないおっさんだが。
ダスキンの事務所での朝礼の景色をまだ覚えている。
「幸せの種をまこう」だったか「喜びの種をまこう」だったか、
そういう内容で社訓を長々と斉唱していた。社歌もあったかな。
幼い僕は家とは違う母の姿に少し違和感を抱きつつも会社というものはこういうとこなんだと思った。
営業成績的なものと経営理念的なもの、その両方が壁に貼ってあったと記憶している。
なお、ダスキンの公式サイトでは創業者・鈴木清一の紹介として
大変な生い立ちから"金光教に入信"とはっきり書いてある。
今から思えばあの光景はちょっと宗教ぽかったとは思うわな。
でも、社歌を歌ったり社訓を斉唱したりなど昔の会社ならどこでもやっていたとも思うし、当然ダスキンは宗教!!みたいなことでもない。
そういう側面があったのは確かだということだけ。
ダスキンはミスタードーナツの運営もやっていたので全品100円になる特別クーポンももらえていた。
それで箱いっぱいにドーナツを買ってもらって原田治デザインのグッズもたくさんもらっていたと思う。
中でもエビグラタンパイが大のお気に入りだったなぁ。
姉たちが学校から帰ってくる前にめぼしいものは平らげていたと思う。そら太るわ。
最近のエビグラタンパイはエビが少ないらしいけど、あの頃はいっぱい入っていた。
甘いものだけじゃなくおかず系のグラタンパイというのがインパクトあったと思う。
また、母はアムウェイもやっていた。
地元で割と大きなビルの家具屋さんの奥さんがやっていて
そこにたくさんのママさんが集まっていたと思う。僕もそれに行った記憶がある。
家具屋さんの裏の段ボールの山を抜けて住居部分に行くのが
裏側を見れたような気がして毎回楽しかった。
それに家具屋さんの奥さんは普通に明るい感じの人で嫌な印象は一切なかった。
だから僕自身アムウェイにはそんなに悪いイメージはない。
家に普通にカタログが僕が小学生のうちはあったし
鍋やら包丁やら物がいいからと母はずっと使っていたし。まだ鍋は現役だし。
すごく覚えているのはアルミパウチに入ったオレンジの粉末ジュース。
日本にはない感じの鮮やかさで甘くておいしかった。めっちゃ飲んでた。
あとサプリなんかも頼んでいたんじゃないかな。緑のタブレットを飲んでた気がする。
あの時代に田舎でサプリメントなんてまぁ目新しかったろうと思う。
ダスキンの話に戻るとパートというにはかなりハードそうに見えて
僕が中学校ぐらいには母はかなり仕事をセーブする様になっていたと思う。
家にもモップやらクロスやら山積みだったからなぁ。
アムウェイの家具屋さんは今は大きなビル店舗を畳み別の家具店舗をやっている。
ビル店舗は駐車場になり郊外に新たにできた店舗はアウトレット形態。
バブルの頃は何十万のソファーが田舎でもたくさん売れたのだろう。
今はもう安いものしか売れない。この時代の色がそんなところにも濃く出ている。
今から振り返ると母はまぁまぁ際どい所にいたのかもしれないと思う。
うちにはそれなりの財力があり母が働いていたから何とかなった。
けれど、普通の専業主婦でそういうものにはまっていたら。
よろしくない宗教ともっと繋がった会社で働いていたら。
厳しいことになっていたかもしれない。
宗教二世の問題じゃないけれど、僕自身もどうなっていたか。
今のようにのんびりと暮らせていない今があったかもしれない。
母が未だにアムウェイの鍋を使っているのは、
本当に物がよかったからなのか高い買い物だったからなのか僕にはわからない。